将えにし ― 将棋の縁の相関図

花田長太郎

はなだ ちょうたろう

北海道 出身

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ひとこと紹介

北海道出身。関根金次郎門下。「寄せの花田」「終盤の花田」と呼ばれた終盤の名手で、相掛かり全盛期に「花田定跡」と称される手順を確立した研究家でもある。

縁のはじまり

師弟

花田長太郎 × 関根金次郎

北海道函館市の将棋倶楽部席主の紹介状を携えて上京し、関根金次郎門下に入った花田長太郎。「寄せの花田」「終盤の花田」と呼ばれた終盤の名手で、相掛かり全盛期に「花田定跡」と称される手順を確立した研究家でもあった。

出典

師弟

花田長太郎 × 荒巻三之

研究熱心さで「将棋の虫」と呼ばれた花田長太郎に、荒巻三之は加藤治郎の紹介で入門した。兄弟子には塚田正夫や坂口允彦が並び、荒巻は花田一門で腕を磨いた。

出典

師弟

花田長太郎 × 廣津久雄

「寄せの花田」「終盤の花田」と謳われた花田長太郎の門下で研鑽を積んだのが廣津久雄。兄弟子には塚田正夫や坂口允彦がいた。

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師弟

花田長太郎 × 坂口允彦

「寄せの花田」「終盤の花田」と謳われた花田長太郎のもとへ坂口允彦を導いたのは、名人・関根金次郎だった。関根が自らの弟子である花田を紹介し、坂口は昭和のはじめにその門を叩く。兄弟子には、のちに実力制第二代名人となる塚田正夫が並んだ。

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師弟

花田長太郎 × 塚田正夫

「将棋の虫」と呼ばれるほど研究に没頭した花田長太郎の門を、塚田正夫が叩いたのは昭和のはじめ。やがて塚田は、戦前から無敵を誇った木村義雄名人を破って実力制第二代名人へと駆け上がり、詰将棋の世界でもプロ棋士による作品集の草分け的存在となった。

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