将えにし ― 将棋の縁の相関図

高柳敏夫

たかやなぎ としお

棋士番号 31 東京 出身

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ひとこと紹介

「新感覚」と称された奇抜な一手で知られ、詰将棋作家としても名高い棋士。現役引退後は「高柳道場」で後進の育成に専念し、十六世名人・中原誠や蛸島彰子ら多くの棋士を輩出した。

縁のはじまり

師弟

高柳敏夫 × 船戸陽子

高柳敏夫門下として若くして女流棋士への道を踏み出した船戸陽子。一度訓練会を経由するという独自の歩みを経て、再び女流棋界に加わり、長年にわたって活動を続けた。

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師弟

高柳敏夫 × 早水千紗

女流アマ名人戦と女流アマ王将戦で優勝を飾ったアマ時代の実績から、高柳敏夫が営む渋谷の将棋道場で修業の時を重ねた早水千紗。居飛車急戦からの激しい攻め将棋で「居玉の千紗」と呼ばれ、プロ入りを果たした。

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師弟

高柳敏夫 × 伊藤果

最初は関西で南口繁一の門に入り、後に高柳敏夫の元へ移って研鑽を積んだ伊藤果。若くして奨励会試験に合格し、三段リーグを経てプロ棋士となった。詰将棋の創作で名高く、その分野で多くの賞を受賞した。

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師弟

高柳敏夫 × 宮田利男

秋田から15歳で上京し、高柳敏夫名誉九段の内弟子として師の家に住み込んで将棋を学んだ。「宮田さんは15歳で秋田から出てきていますね。もし内弟子をしてなくて、アパートか何かに住んでいたら、とてもじゃないけど修行できないと思うんですよ」とのちに語られるほど、住み込みという暮らしの形が修行を支えた。高柳自身も「宮田で四段になるまでいたかな」と述懐しており、四段昇段まで師のもとで過ごした歳月が、この師弟の縁の骨格をなしている。

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師弟

高柳敏夫 × 村中秀史

高柳敏夫門下として将棋を学んだ村中秀史。居飛車を軸としながら後手番ではゴキゲン中飛車も採用する柔軟な棋風でプロ棋士となった。NHK杯予選では1日に持将棋が2局続くという稀有な経験を持つ。

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師弟

高柳敏夫 × 中原誠

高柳敏夫に師事した中原誠は、師のもとで将棋の基礎を磨き、「自然流」と呼ばれる流麗な棋風を確立した。戦後生まれ初の名人位に就き、十六世名人の資格を得るなど、将棋史に大きな足跡を残した。

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師弟

高柳敏夫 × 大島映二

新聞の棋譜欄への興味から将棋を覚えた大島映二は、高柳敏夫の門に入り修行を積み、プロ棋士となった。

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師弟

高柳敏夫 × 芹沢博文

将棋の筋に明るい棋風で知られる芹沢博文は、沼津の大会で木村義雄十四世名人と二枚落ちで対局し快勝。この活躍で「神童」と騒がれ、高柳敏夫に師事してプロの道へ進んだ。

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師弟

高柳敏夫 × 島朗

高柳敏夫門下で、若くして関東奨励会に入会した島朗。プロ入り後の竜王戦では3組での出場で米長邦雄を破って番勝負を制し、初代竜王を獲得した。この3組からの番勝負制覇は史上唯一の例となった。

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師弟

高柳敏夫 × 清水市代

東京都東村山市の出身。高柳敏夫門下として将棋を学んだ清水市代は、女流タイトルを多数獲得してクイーン四冠の称号を持つ。女流棋士として初、女性として初の日本将棋連盟会長に就任した。

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師弟

高柳敏夫 × 達正光

小学生将棋名人戦と中学生将棋名人戦をともに制した達正光は、高柳敏夫門下として奨励会を経てプロ棋士となった。公式戦では名人佐藤康光相手に全勝を記録した。

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師弟

高柳敏夫 × 蛸島彰子

高柳敏夫門下として将棋を学んだ蛸島彰子は、史上初の女子奨励会員として将棋の扉を開き、初代女流名人・女流王将として女流将棋界の礎を築いた。女流棋士会の初代会長として組織化にも尽力した。

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師弟

高柳敏夫 × 田中寅彦

大阪府豊中市出身の田中寅彦は、高柳敏夫門下として奨励会で研鑽を積んだ。「序盤のエジソン」と呼ばれる独自性で無理矢理矢倉など新戦法を開拓し、居飛車穴熊の固さ重視という思想を確立した。棋聖のタイトルを獲得した。

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師弟

高柳敏夫 × 宇治正子

高柳敏夫門下として将棋を学んだ宇治正子は、プロ入りを果たして女流棋界に加わった。女流王将戦など各棋戦に参加しながら長年にわたって現役を続け、勤続表彰を受けた。

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師弟

高柳敏夫 × 安恵照剛

「名伯楽」とうたわれた高柳敏夫名誉九段の門下。安恵照剛はプロ棋士となった後、みずからも子どもへの指導で知られ、永瀬拓矢ら多くの棋士を育てる師となった。

出典1出典2