将えにし ― 将棋の縁の相関図

米長邦雄

よねなが くにお

棋士番号 85 山梨 出身

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ひとこと紹介

山梨県出身。佐瀬勇次門下の内弟子として将棋界の道を歩んだ棋士。名人位をはじめ複数タイトルを獲得し、永世棋聖の資格を得た。日本将棋連盟会長としても将棋界の発展に尽力した。

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縁のはじまり

師弟

米長邦雄 × 佐瀬勇次

小学6年のとき、山梨県の将棋大会で活躍したことがきっかけとなり、翌日に佐瀬勇次が生家を訪れて内弟子入りを勧めた。米長は中学進学と同時に上京して門下に入った。将棋界全体が苦しかった昭和30年代初頭に受け入れてくれた師への感謝を、米長は後年「このご恩は何物にも替え難い。師匠にはとてもお返しできるものではない」と語っている。

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師弟

米長邦雄 × 伊藤能

中学生のころ、将棋喫茶で「尊敬する現役棋士は誰か」と問われた伊藤能は「うーん、米長かなあ」と答えた。その何げない返答が、のちに米長邦雄との師弟関係となった。米長の厳しい鼓舞を受けながら奨励会の修行を重ね、一番弟子として史上最年長での四段昇段を果たした。

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師弟

米長邦雄 × 長岡裕也

米長邦雄門下に入った長岡裕也。振り飛車を武器に序盤理論の開拓者として頭角を現し、独自の将棋を追求する棋士となった。

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師弟

米長邦雄 × 中川大輔

中川大輔は米長邦雄の門下に入り、その将棋を受け継いだ。やがて米長が大きな番勝負を控えたとき、師は弟子のアパートに通い、相手への対策を教わったという。師が弟子のもとへ通い教わるという、米長らしい場面が残っている。

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師弟

米長邦雄 × 中村太地

小学六年のとき、両親が読んでいた米長邦雄の著作に惹かれて弟子入りを決めた中村太地。月に一度、師の家で他の弟子とともに将棋を見てもらう会で、永世棋聖は「君はまだ平社員の将棋を指している。社長のような考えで将棋を指しなさい」と説いた。

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師弟

米長邦雄 × 先崎学

奨励会に入る前の年から小学校を卒業するまで、米長宅に住み込む内弟子として師に師事した。同じころ内弟子だった年上の林葉直子と二人で、新宿将棋センターへ将棋を指しに通っていた。

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師弟

米長邦雄 × 杉本和陽

米長が「どうしても最後に弟子に取りたい」として入門させた杉本和陽。奨励会での修行を経て四段昇段を果たし、やがて藤井聡太棋聖への挑戦権を獲得した。

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師弟

米長邦雄 × 高崎一生

米長邦雄の弟子となり、奨励会の道に入った高崎一生。宮崎県出身として初のプロ棋士となった。

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番勝負・決勝のきろく

番勝負・決勝に登場したきろくです(結果は各棋戦のページに)。